『自由になるトレーニング』瞑想で怒りや自信のなさから自由になる

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プラユキ・ナラテボー, イケダ ハヤト, ヒビノ ケイコ『自由になるトレーニング』Evolving ,2016

Kindleにて読了。
自由になるトレーニング

KindleのYour Highlightから。

どうすれば怒らないようになるのか

怒るとつかれるし、人間関係も壊れてしまう。どうすれば怒らなくなるのか。

動物は脊髄反射で怒っています。命を守るために怒っているんですけど、人間の怒りの多くは前頭葉経由の自我を守るための怒りと言っていいんですね。こうあってほしいという願いがある。でもそうならない。そういった現実に直面して満たされない、切ない、哀しい。で、そうした気持を自分で受け止められず、相手に投影して攻撃してしまう、という感じ。

人間の怒りと動物の怒りの違い。確かに、人間の怒りは「自我を守るための怒り」(プライドとか、自己像とか)。

 プラユキ ポイントがあるんですよ。本のなかで紹介していますが、早めに手放す。小さいうちに手放す。怒りというのは、最初の小さなイライラ、つまりちょっと気に障るレベルの怒りに始まって、どんどん我知らずのうちに物語化して、怒りや恨みになったりする。それが相手に対する罵詈雑言や暴力にもなってしまうわけです。
ですから、なるべく早い段階で怒りの炎を消していくトレーニングをすればいいんですよ。その鍵になるのが、仏教用語で言うところの「念」と「捨」。すなわち、「気づく」ことと「手放す」ことです

心理学には一次感情と二次感情という言葉があるが、最初の小さな一次感情のときに気づいて手放すトレーニングをするということ。恨みの物語にふくらませてしまわないこと。

ストーリーを俯瞰する

そうした影響を受けないようにするためには、ある種の情報リテラシーを持つ必要があると思うんですね。「情報を鵜呑みにせず、一段高い視点から、それが提示されるに至った経緯や送り手の隠された意図を見抜き、その悪影響を回避する能力」というのが情報リテラシーの定義だけど、念のこもった言葉で迫ってくる人の悪影響を回避するためには、やはり瞑想でもして、言葉にとらわれないようにしていく訓練をしていくのがいいんじゃないでしょうか。  言葉を解体できれば、実は念なんてなかった、ストーリーもただのストーリーにすぎなかった、ということがわかります。そこまで吟味できれば悪影響も受けなくなり、今度はこちら側が主体的にストーリーを編集して、もっと前向きな共同創造のドラマへとシナリオを変えていくこともできるでしょう。

自分が生きている(生きさせられている)物語を俯瞰して見ることのできるメタ認知が大切。

自我のトリック

わたしたちは、そうした自己概念を「私の特性」と認識し、さらにはそれが自身の行動を支配する内的な原因と解釈してしまい、今、ここで本当はいくらでもできることを、できないものと思い込んでしまうわけです。これが自我のトリックです。このことに気づけるかどうかが、ネガティブな思考を無力化できるかどうかの鍵になるのです。

自己概念というのは自身のさまざまな記憶の恣意的な寄せ集めによって構築されるものですが、実はこうした自己イメージって、今ここでの自分の気分や感情にかなり影響を受けているんですね。だから今の気分がよくないと、自ずと昔の嫌な気分だったときの記憶がたぐり寄せられて、たとえば、「親に虐待を受けた不幸なわたし」といったイメージが構築されやすいのです。

「今、ここ」に気づく瞑想

「今、ここ」に気づく瞑想をしていると、だんだんと思考にとらわれなくなってきます。無自覚な消耗的アクションが減って、その分リアルな今ここでベストを尽くしていくことができるようになっていきます。

「自分」(と自分をしばっているストーリー)をうまく手放すことができると、もっと楽に生きることができるのだろう。

瞑想や対話の「お寺」あるいは「サンガ」はあちこちにできるといいと思う。

手動瞑想の動画。

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